こんにちはなおです。
ブログのことを聞かれてよく思うのが、
「わたしの1番の能力と、あなたの1番でない能力を比べても(あなたにとって)意味がない…」ということ。
これ、気づいてないとやりがちで、わたしも昔、自分にない能力を持っている人の1番のギフトと、自分のそれを比べては、はあ…..なんてわたしは…と思っていました。
人それぞれにある1番の能力は、宇宙がくれたギフトなので、これを使って生きている人はだれとも比べる必要がなくなり(比べる人もいなくなり)、必ずオンリーワンになります。
この他人の1番の能力と、自分の2番以下の能力で競っても意味ないよ!比べずに、自分の1番のギフトを磨こう!という話です。
他人の1番の能力とあなたの2番目以下の能力を比べてはいけない
いいなあ..と思う人の1番のギフトと、あなたの1番のギフトはきっと違うので、比べずに、あなたの1番を輝かせようね!
それが1番魂が満たされる方向だよ、という話です。
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ブログのことを聞かれて思う、「あなたには別の1番があるのに、比べられても…」
ブログのことを、どうしたらそんなに濃くかける?たくさん書ける?記事数書ける?など、聞いてもらえたことが多々ありました。
それ自体は嬉しくて、ありがたくて、その方にあったアドバイスができるなら喜んでします。
楽に書ける方法が知りたい人にはそれを伝えるし、ネタに困る人がいるならネタの出し方を伝えるし、最初で悩んでいるならとにかく公開する方法を伝えます。
純粋にこうなりたい!の気持ちで聞いてくれるのはよくて、それ以外に、かすかな敵対意識というか、嫉妬心というか、競争意識、劣等感、みたいな感情を混じえて聞いてくる方もたまーにいます。(笑)
そんなときに例外なく思ったのが、「この方の1番のギフトは全然別のものなのに、ご自身の1番でないものとわたしの1番を比べて嫉妬されても…その必要もないのに…」ということ。
もったいないなあと思っていました。
聞いてくれるのはだいたい、副業で時間を見つけて頑張っている方たちです。
つまり、本業で抜群に1番の能力を発揮しているから、こっちはほどほどにというか楽しめばいいのであって、
書くのが楽しくて楽しくてという人と競うと、ギフトじゃないからつらいはずなんだけどなあ…と。
1番の能力と2番目以下の能力の天と地の差
さっきからさんざん使っている、1番の能力、2番目以下の能力というのはですね…。
人は多面的な生き物なので、いくつも「人より自然によくできる」能力があります。これはだれでもです。
その能力の中で、もっとも自然にやりつづけていられるものから順に、1番、2番….となるのですが、
どれが1番かって、気づいてない人の方が圧倒的に多いと思う。
けど、その人に与えられた1番の能力と、その次、次の次、くらいの能力では、天と地の差があります。
わたしなら、書くことが1番の能力です。
2番目以下には、人を楽しませる企画を作ること、0➡️1のアイディア出しと実現、シェアすること、広げること、話を聞くこと、モチベートすること、分析、とかがあります。(2番以下は順位はつけなくていいと思っていて、雑多に出しています。)
1番の書くことはいくらやっても枯れない。むしろ活力が湧く。やらないほうがきつい。
無限に湧いてくるオアシスのようなものです。ギフトには限りがない。
でも、2番目以下は、楽しいし向いているけど、ずっとはやれません。
例えばイベントを作るのはものすごく楽しくて、ないとつまらないけど、多くて週に1回までだと思います。
毎日はできない。
逆にこのイベントをするのが1番のギフトの人もきっといて、その人ならたくさんやるのが楽しくてしょうがないはずです。
つまり、1番のギフトは限りがないけど、2番目以下は1番に比べると限りがある。そんな感じです。
人の1番と自分の2番以下を比べる無意味さ
1番と、2番以下で圧倒的に違うのはなんとなくわかってもらえたかと思います。
そうすると、他人の1番の能力、その人がずっとやっても無限に湧いてくるものと、
あなたの2番目以下の能力、やりたいけど、限りのあるもの。
この2つを比べるのって、自分の魂がめちゃくちゃかわいそうじゃないですか?
最初から勝てない勝負をさせられている心を考えると、泣けてきます…。
わたしは、人が磨きを書けるべきは1番のもので、
それだけでは人生が単調になってしまうし、つらいときもあるだろうから、
楽しむために、2番目以下の能力もくれたのかなあって思っています。
(2番目以下もうまく組み合わせて人生で使うと、彩りが美しい人生になります。)
羨ましいと感じるほど際立っている人の能力って、だいたいその人の1番の能力です。
そりゃ輝くよ!ギフトだもん!枯れずに無限に湧いてくるんだもん!w
だからこそ、輝いているあの人とそうでない自分と、ってつい比べてしまうんです。
わたしも、いつでもどこでも人と楽しそうにおしゃべりできる人に憧れて、いいなあ、なんでわたしにはできないんだろう?と思いました。
頭の回転の速い人にたくさんアドバイスをもらって、なんでわたしはこの人みたいに自分で分析できないんだろう?って思いました。
ランウェイをかっこよく歩くモデルさんを見て、なんでわたしは同じところにいるのに、こんなにおどおどしているのだろう?と思いました。
でも、今考えれば、あの人の1番のギフトと、わたしの1番のギフトが違っただけ。
人のことが羨ましくなる時はだいたい、あなたの1番の能力はそれ以外にあります。
そっちをもっと見てあげて!
1番のギフトにたどり着いた人は一生引退しない。1番のギフトを輝かせよう
自分の1番のギフトにたどり着いた人は、人と比べることがなくなります。
すごい人はたくさんいますから、羨ましい…!とか、この人みたいにしたい…!とか憧れを抱くことはあっても、
ギフトはただ使っているだけで心から満たされた気持ちになるものなので、
人を見て嫉妬したり、マイナスの気分になったり、ということはほぼないのです。
人を見てしまうという方はまだ1番のギフトに出会えていないか、もっと使える人です。
ちなみに、1番のギフトにたどり着いた人は、一生引退しません。
それが仕事でなくなったとしても、勝手にやり続け、人を喜ばせ続けるでしょう。
お金を稼ぐ必要がもうない人も、1番のギフトはずっと続けてらっしゃいます。
なぜなら、あなたの魂が、1番深く満たされるものだから。
たどり着いたらやめられません。
そんなのが、1番のギフトです。
あなたの1番のギフトはなんだと思いますか?
もっと使ってあげてくださいね。
じゃあまた。
なお
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